人口動態は、物価や金利だけでなく、財政や中央銀行の政策運営にも大きな影響を及ぼすと考えられます。ここでは、以前取り上げた『The Great Demographic Reversal』の続編にあたる掲題の本について、内容を整理してみました。
(『The Great Demographic Reversal』のダイジェスト記事はこちらです。)

1.書籍詳細

書籍名:The Unanchored Central Banker: Demography, Fiscal Instability, and an Erosion of the Central Bank’s Inflation-Fighting Ability
著者名:Manoj Pradhan, Charles Goodhart
出版社:Independently published
出版年月:2026年4月

Manoj Pradhan氏は、モルガン・スタンレーを経て、ロンドンを拠点とするマクロ経済リサーチ会社を創業したエコノミストです。
Charles Goodhart氏は、イングランド銀行で政策委員をつとめた経済学者で、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスの名誉教授です。

両氏は、2020年に『The Great Demographic Reversal』を出版しています。本書はその続編にあたり、前著で示した人口動態とインフレ・金利の関係をさらに掘り下げるとともに、財政と中央銀行の政策運営への影響を中心的なテーマとしています。

2.全体構成

本書は全8章で構成されています。
はじめに、本書全体の問題意識を提示しています。著者らは、人口の高齢化によって実質金利とインフレ率に上昇圧力がかかる一方、財政状況の悪化によって中央銀行のインフレ抑制能力が制約されると考えています。

前半では、主として金利とインフレの問題を取り上げています。高齢化が実質金利に与える影響について従来の経済モデルを批判的に検討した上で、中国が世界の物価形成に果たしてきた役割や、AIによる技術革新、中国経済の今後の動向について論じています。
後半では、人口動態と財政・金融政策の関係を取り上げています。高齢化に伴う医療・介護需要の増加や移民政策の問題を検討し、それらが財政の持続可能性に与える影響を説明しています。その上で、政府債務の増加が中央銀行の政策運営をどのように制約するかを論じています。

3.議論の整理

この本は、前著で提示した「人口動態の変化がインフレ率と金利の上昇をもたらす」という見方を発展させ、「高齢化による財政状況の悪化が、中央銀行のインフレ抑制能力を制約する」という問題を中心に論じています。
主要なメッセージを一言でいうと、「人口動態の変化によってインフレ率と実質金利に上昇圧力がかかる一方、政府債務の増加によって中央銀行が十分な金融引き締めを行うことが難しくなる」ということになります。
著者らは、このような状況を「Unanchored Central Banker」と表現しています。

以下では、6つの論点に集約して議論を整理してみました。

① 高齢化は実質金利を押し上げる

まず、実質金利について、著者らは従来の経済学における主流の見方に異議を唱えています。

一般的には、高齢化によって退職後の生活に備える家計の貯蓄が増加し、実質金利には低下圧力がかかると考えられています。
これに対して著者らは、家計の貯蓄だけでなく、政府部門の貯蓄と投資需要を含めて考える必要があると指摘しています。高齢化が進むと、年金、医療、介護などの社会保障支出が増加します。その結果、政府の財政赤字が拡大し、政府部門の負の貯蓄が増加することになります。著者らは、政府部門の負の貯蓄が家計の貯蓄増加を上回るため、経済全体では貯蓄が不足する方向に進むと考えています。
また、住宅についても、人口動態と密接に関係する重要な投資需要であるにもかかわらず、従来の実質金利の分析では十分に考慮されていないと指摘しています。

その結果として、高齢化は実質金利を低下させるのではなく、むしろ上昇させる方向に作用すると著者らは見ています。

② 中国が世界のインフレ率を抑制してきた

次に、インフレについては、前著に引き続き、中国が世界経済に果たしてきた役割を重視しています。

著者らは、過去数十年間にインフレ率が低位で安定していた背景には、中央銀行の金融政策だけでなく、中国からの安価な財の供給が大きく寄与していたと考えています。この点について、フィリップス曲線を財とサービスに分けて考えるという説明をしています。財の価格は、中国を中心とするグローバルな生産・供給体制の影響を強く受ける一方、サービスの価格は国内の労働市場や賃金の影響を強く受けるとしています。
著者らによれば、中国からの安価な財の供給によって財価格が抑制されていたため、国内の労働市場が逼迫しても、全体としてのインフレ率は上昇しにくい状況にありました。しかし、今後は中国自身の人口動態が変化するため、これまでと同じようなディスインフレ圧力を世界経済に与え続けることは難しくなると考えています。
また、中国の不動産不況や過剰生産能力によるデフレ圧力については、短期的には重要な問題であると認めつつ、中長期的には人口の高齢化による貯蓄の減少や雇用構造の変化などから、中国が再び世界に持続的なデフレ圧力を輸出する可能性は低いとしています。

その結果、今後は中央銀行がインフレ率を抑制するために、国内の労働市場やサービス価格に対して、より強い金融引き締めを行う必要が生じると著者らは考えています。

③ AIによって人口動態の影響は相殺されるか

著者らは、AIによる技術革新が労働力不足やインフレ圧力を緩和する可能性についても検討しています。

AIによって生産性が大幅に向上すれば、人口の高齢化による供給制約が緩和され、経済成長や財政の持続可能性にも好影響が及ぶ可能性があります。一方で、AIが雇用全体にどのような影響を与えるかについては、不確実性が大きいとしています。
著者らは、過去の技術革新では、一部の産業で雇用が失われる一方、新たな産業や成長分野で雇用が創出されてきたことを指摘しています。AIについても、短期的な雇用への影響は不明確であるものの、中期的には雇用を増加させる可能性が高いと考えています。
また、AIは従来の機械化とは異なり、専門的な知識を必要とする認知的な仕事にも影響を与えるため、高度な技能を持つ労働者の賃金プレミアムを縮小させ、所得格差を改善する方向に作用すると見ています。

ただし、AIが経済全体の生産性やインフレ率にどの程度の影響を与えるかについては、現時点で確実な判断を下すことは難しいとしています。

④ 高齢化による医療・介護費用の増加が財政を圧迫する

本書で特に重視されているのが、高齢化に伴う医療・介護費用の増加です。

著者らは、平均寿命が延びている一方で、健康寿命が同じ程度に延びているわけではないことを指摘しています。その結果、介護や医療を必要とする高齢者が増加し、社会全体で必要とされるケアの量が増えていくと考えています。
また、医療・介護は労働集約的なサービスであり、製造業などと比較して生産性を高めることが難しいという特徴があります。この点について、著者らは「ボーモルのコスト病」を取り上げています。経済全体の賃金が上昇する中で、生産性を高めにくい医療・介護分野でも人件費が増加するため、サービスの提供費用が上昇していくという問題です。
さらに、高齢化によって介護を必要とする人が増える一方、介護を担う生産年齢人口は減少していきます。移民の受け入れは労働力不足を緩和する一つの方法ですが、著者らは、移民に対する社会的・政治的な反発が強まっていることから、今後の移民流入には制約が生じると考えています。

これらの要因によって、医療・介護に必要な労働力と財政支出が増加し、政府の財政状況は従来の予測以上に悪化する可能性があると指摘しています。

⑤ 財政の持続可能性が問題となる

著者らは、こうした人口動態の変化に加えて、すでに先進国の政府債務が高水準にあることを問題視しています。

財政の持続可能性を考える上では、政府債務の規模だけでなく、金利と経済成長率の関係が重要になります。金利が経済成長率を上回る状況では、政府債務を安定させるために、より厳しい財政運営が必要となります。
しかし、著者らは、高齢化によって経済成長率が低下する一方、実質金利には上昇圧力がかかると考えています。さらに、社会保障費の増加に加え、国防や気候変動への対応など、政府支出を増加させる要因も存在しています。
財政再建のためには増税や歳出削減が必要となりますが、高齢化した社会では社会保障支出の削減に対する政治的な抵抗が強くなると指摘しています。そこで、本書では、土地への課税や将来の医療費に備えるための新たな税制、柔軟な退職制度など、財政問題への対応策も提案しています。

ただし、こうした政策を実際に導入することは容易ではなく、著者らは、今後も財政赤字と政府債務が増加していく可能性が高いと見ています。

⑥ 中央銀行のインフレ抑制能力が制約される

これまでの議論を踏まえて、中央銀行の政策運営への影響を論じています。

著者らは、人口動態の変化によってインフレ率と実質金利に上昇圧力がかかる一方、財政赤字と政府債務が増加するため、中央銀行は難しい立場に置かれると考えています。インフレ率を抑制するためには政策金利を引き上げる必要がありますが、金利の上昇は政府の利払い負担を増加させ、財政の持続可能性を悪化させる可能性があります。そのため、政府から中央銀行に対して、金利を低く維持するよう圧力が強まることが考えられます。
これは、金融政策が財政上の要請によって制約される「財政支配(Fiscal Dominance)」と呼ばれる問題です。

また、政府債務の持続可能性に対する懸念が強まると、国債市場が不安定化する可能性もあります。
著者らは、2022年の英国における国債市場の混乱を、そのような問題を考える上での一つの事例として取り上げています。国債市場が不安定化した場合、中央銀行は金融システムの安定を維持するために、国債買い入れなどの対応を求められる可能性があります。しかし、インフレ抑制のために金融引き締めを行う必要がある局面で、金融市場の安定を目的とした資産買い入れを行うことは、政策運営を複雑にします。

著者らは、今後の中央銀行が、物価の安定、財政の持続可能性、金融システムの安定という複数の課題の間で難しい選択を迫られると考えています。そして、中央銀行が従来のように物価の安定を最優先に追求することが難しくなる可能性を、本書のタイトルである「Unanchored Central Banker」という言葉で表現しています。

4.感想

前著『The Great Demographic Reversal』では、人口動態の変化が世界の労働力供給や貯蓄・投資のバランスを通じて、インフレ率と金利にどのような影響を与えるかが中心的なテーマでした。今回の本では、その議論をさらに発展させ、高齢化に伴う医療・介護費用の増加が財政を圧迫し、その結果として中央銀行の政策運営にも制約が生じるという問題を取り上げています。

個人的には、特に、高齢化による家計の貯蓄の変化だけでなく、政府部門の負の貯蓄を含めて実質金利を考えるという視点が印象に残りました。
実質金利の方向性については、家計の貯蓄行動、企業の投資需要、財政政策、技術革新など様々な要因が関係するため、著者らの見通しがそのまま実現するとは限らないと思います。しかし、人口動態が政府の財政収支に与える影響を十分に考慮する必要があるという指摘には、説得力があるように感じました。

また、医療・介護の問題をマクロ経済の分析に組み込んでいる点も興味深いところです。高齢化による社会保障費の増加はよく知られた問題ですが、労働力不足や生産性の制約を通じて医療・介護費用がさらに増加し、それが財政や金利にも波及するという見方は、重要な論点だと思います。年金と異なり、実際のサービス提供を伴う医療・介護では、人的・物理的な制約が課題となるという論理は、非常に自然なもののように感じました。

一方で、AIなどの技術革新が経済全体の生産性を大きく改善する可能性もあり、今後のインフレ率や実質金利がどのような方向に進むかについては、引き続き不確実性が大きいと考えます。中央銀行についても、財政状況の悪化が金融政策の自由度を制約する可能性は十分にあると思いますが、必ずしも財政支配に至るとは限らず、各国の制度や政治的な対応によっても結果は異なるのではないかと思います。

前著では、人口動態がインフレ率と金利に与える影響について多くの示唆を得ましたが、今回の本では、そこからさらに財政と中央銀行の関係へと問題意識が広がっています。特に、人口動態という長期的な構造変化が、政府の資金調達や中央銀行の政策運営を通じて金融市場にどのような影響を及ぼすかを考える上で、非常に示唆に富む内容でした。

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