以前の記事「私がインデックス投資に全米株式を選ぶ理由」の通り、「米国は投資先として魅力的なので、政治リスクはリスクとしてそのまま引き受けつつモニターしていく」というのが私のスタンスなのですが、ここではそのような立場から思うところを書いてみました。
1.事態のあらまし
いろいろなメディアの話を総合しますと、「経営不振に陥っているUSスチールにとって日本製鉄による買収は願ってもない話であり、経済合理性からするとこれを受けないという選択はあり得ない。しかしながら、買収に否定的なUSW(全米鉄鋼労働組合)を配慮したバイデン大統領が安全保障上の懸念を建前として買収禁止命令を下した」というのが禁止命令に至る背景のようです。
これに対して、日本製鉄とUSスチールが、大統領命令と審査の無効、再審査を求めて、バイデン大統領とCFIUS(対米外国投資委員会)を相手取って訴訟を提起。また、併せて、USW(全米鉄鋼労働組合)会長とUSスチールのライバル鉄鋼メーカーであるクリーブランドクリフスに対しても、買収阻止のための違法行為を共謀して行ったとして、損害賠償等の訴訟を提起しているのが現在の状況になります。
今後の展開ですが、実際には訴訟で買収禁止命令を覆すのは難しいため、日本製鉄としてはトランプ次期大統領を買収反対から賛成へ翻意させることを目指しているようです。
なお、アメリカの労働組合は、日本と異なり企業横断で産業別に組織されています。USW(全米鉄鋼労働組合)は鉄鋼を含む複数業界に広範にまたがる北米最大の産業別組合です。ペンシルバニア州に本部をおく120万人規模の組織になります。歴史的に労働組合は民主党を支援してきており、USW(全米鉄鋼労働組合)も2024年の大統領選で民主党候補を支持しています。近年ラストベルトの労働者全体の組織化率は10人に1人程度に下がってきているようですが、USW(全米鉄鋼労働組合)が政治的影響力をもつことには変わらないようです。
さらに補足しますと、アメリカの大統領選挙はスイングステートと呼ばれる激戦州の結果が勝敗を左右すると言われています。2024年の場合には7つの州があげられていたようです。ラストベルト(錆びた工業地帯)に位置するペンシルバニア、ミシガン、ウィスコンシンの3州もその中に含まれています。
2.私の意見
私は、アメリカの労働組合について特別な知識を持ち合わせているわけではないのですが、大統領選の結果を左右するスイングステートを中心にした地理的基盤と組織の規模からしてUSW(全米鉄鋼労働組合)が政治的に重要な存在であることは明らかではないかと思います。そのUSW(全米鉄鋼労働組合)が強く買収に反対するのであれば、リアルな政治の力学が経済合理性に優先されても不思議ではなく、しかもそれが大統領選の時期であれば尚更ではないかという印象を受けました。
私は、これから続くであろうグローバル化の巻き戻しの時代にあっては政治への配慮は避けられないものであり、保護主義が台頭するアメリカでビジネスを行う以上避けて通れないテーマではないかと思います。すなわち、今回の買収禁止命令は、「保護主義の色が濃くなるアメリカでビジネスを行うには、政治への配慮がこれまで以上に必要になる」というメッセージを投げかけているように思うのです。
本件の場合であれば、米国企業への投資を成功させるという観点から真に検討すべき論点は、「安全保障上の懸念というバイデン大統領側の建前の正統性」よりも「そもそも日本製鉄側で政治的なリスクをどのように事前に認識し、それに対してどのように対処しようとしていたか」ではないかと思うのです。
もちろん事の正否はまだ確定しておらず、日本製鉄がトランプ次期大統領とのディールに成功する可能性も残っているとは思います。しかしながら、同氏が提唱する”Make America Great Again”というスローガンと保護主義的な政策を期待する支持層(ラストベルトの労働者層等)、さらには外国企業によるUSスチール買収に対する国民感情を考えるとハードルは高いと考えるのが自然ではないでしょうか。
以上のような考えから、今回の買収禁止命令は、人口減少と高齢化で国内市場が縮小する中で、アメリカ市場に成長を求めている多くの日本企業にとって「政治的リスクをコントロールする必要性」を示唆しているように私には思えます。あるべき論にとらわれず、利害関係者が交錯するアメリカ政治の力学を冷静にみていく必要があるのではないでしょうか。大切なのは、リスクとリターンが混在する現実をよく見ることではないかと思います。