私的ダイジェスト『Permacrisis』
世界の政治・経済を考える上では、個々の出来事だけでなく、それらの背景にある構造的な変化を理解することが重要だと思います。ここでは、世界が直面する複合的な危機と、その克服に向けた経済政策や国際協調のあり方を論じた掲題の本の内容を整理してみました。
1.書籍詳細
書籍名:Permacrisis: A Plan to Fix a Fractured World
著者名:Gordon Brown, Mohamed A. El-Erian, Michael Spence(with Reid Lidow)
出版社:Simon & Schuster UK
出版年月:2023年10月
Gordon Brown氏は、英国の元首相で、2008年の世界金融危機への対応や国際協調に深く関わった政治家です。
Mohamed El-Erian氏は、PIMCOの元CEOで、国際金融市場やマクロ経済政策について幅広く発信しているエコノミストです。
Michael Spence氏は、情報の非対称性に関する研究で2001年にノーベル経済学賞を受賞した経済学者で、経済成長や開発政策についても研究しています。
本書は、政治、金融市場、経済学という異なる立場の3人が、コロナ禍をきっかけに世界の問題について議論を重ねたことから生まれたものです。
2.全体構成
本書は、「経済成長」「経済運営」「国際秩序」の3部で構成されています。著者らは、世界が直面する複合的な危機の背景にある構造的な問題を整理した上で、3つの領域における改革の方向性を順に論じています。
具体的には、「どのような成長を目指すか」「そのために国内の経済政策をどう運営するか」「国境を越える課題にどう協力するか」という順序で議論を展開しています。3つの領域は独立した課題ではなく、相互に補完し合う関係にあるというのが、著者らの基本的な考え方です。
3.議論の整理
この本は、「世界が複数の危機に同時に直面する中で、持続的な繁栄を取り戻すには何が必要か?」について書かれています。
主要なメッセージを一言でいうと、「現在の危機は一時的なショックの集合ではなく、従来の経済成長モデル、経済運営、国際秩序が現実の変化に十分対応できなくなっていることに起因しており、これらを一体として改革する必要がある」ということになります。本書のタイトルにある「Permacrisis(パーマクライシス)」とは、危機的な状況が長期にわたって続く状態を意味します。
著者らは、インフレ、金融不安、地政学的対立、気候変動、格差の拡大などを、それぞれ独立した問題として扱うことは適切ではないと考えています。これらの問題は相互に影響し合い、一つの危機への対応が別の危機を悪化させることもあるためです。その背景として、過去30年間の世界経済を支えてきた前提が変化していることを指摘しています。
具体的には、「米国を中心とする一極的な国際秩序から多極化への移行」、「グローバル化の進展から経済安全保障を重視する方向への転換」、「経済合理性が政治的意思決定を主導する時代から、政治や国家安全保障が経済的意思決定を左右する時代への移行」、という3つの変化です。
これらを踏まえ、本書では「経済成長」「国内の経済運営」「国際秩序」という3つの領域について、従来の考え方を見直す必要があると論じています。
① 経済成長モデルの見直し
第1の論点は、経済成長のあり方です。
著者らは、これまでの世界経済を支えてきた成長モデルとして、市場の自由化・民営化・規制緩和を重視するモデルと、低コストの労働力を活用した輸出主導型の工業化モデルを挙げています。これらは経済成長に大きく貢献した一方で、環境への負荷、成長の成果の不均等な分配、国際的なサプライチェーンの脆弱性といった問題を十分に考慮してこなかったと指摘しています。
また、今後の世界経済には、成長を押し上げる要因と抑制する要因が併存するとしています。
成長を押し上げる要因としては、新興国のキャッチアップ、デジタル化、エネルギー転換、生命科学を中心とした技術革新を挙げています。
一方で、成長を抑制する要因としては、サプライチェーンの混乱、労働力や資源の供給制約、地政学的な分断などを重視しています。特に、これまでのグローバル化が低コストの労働力と生産能力を世界経済に供給し、物価を抑制してきたことに着目しています。こうした供給面の追い風が弱まる中では、従来のような低インフレ・低金利の環境を当然視できないという見方です。
もっとも、著者らは経済成長そのものを否定しているわけではありません。むしろ、技術革新や生産性向上によって高い成長を実現することが重要だと考えています。その上で、成長の成果が広く共有され、環境面でも持続可能であり、経済安全保障にも配慮した新しい成長モデルが必要だと主張しています。すなわち、単にGDPの拡大を追求するのではなく、成長の質や持続可能性も重視すべきだという立場です。
② 国内の経済運営の見直し
第2の論点は、金融政策・財政政策を中心とする経済運営のあり方です。
著者らは、2008年の世界金融危機やコロナ禍、その後のインフレへの対応を振り返り、各国の経済政策には大きな問題があったと指摘しています。特に重視しているのは、中央銀行への過度な依存です。
世界金融危機以降、金融政策は経済を支える中心的な役割を担ってきました。しかし、低金利や量的緩和による需要の下支えだけでは、生産性の低迷、供給能力の不足、所得格差などの構造的な問題を解決できません。また、長期間にわたる金融緩和は、資産価格や金融機関のリスクテイクにも影響を及ぼします。その後、インフレへの対応として急速な金融引き締めが必要になれば、金融システムの脆弱性が表面化する可能性があります。本書では、米国の地方銀行の破綻や英国の年金基金をめぐる混乱なども取り上げ、金融政策の転換が金融市場に及ぼす影響を論じています。
著者らは、中央銀行の独立性や専門性を否定しているわけではありません。一方で、金融政策だけに経済運営を委ねることには限界があり、財政政策、規制・監督政策、供給能力を高める政策などを、より適切に組み合わせる必要があるとしています。特に、インフレを需要の抑制だけで解決しようとするのではなく、投資や技術革新を通じて供給能力を拡大することを重視しています。
そのためには、政府が投資、制度設計、民間部門との協力などにおいて、従来より積極的な役割を果たす必要があるという考え方です。ただし、政府の介入にも失敗や非効率のリスクがあるため、政策運営の質、説明責任、専門性の確保が重要だとしています。
③ 国際秩序と国際協調の見直し
第3の論点は、グローバル化と国際秩序のあり方です。
著者らは、世界経済の相互依存が深まっているにもかかわらず、国家間の協調が弱まっていることを大きな問題と捉えています。例えば、感染症、気候変動、国際金融危機などは、一国だけでは十分に対応できません。しかし、実際には国家間の対立や保護主義が強まり、必要な国際協調が実現しにくくなっています。本書では、従来のグローバル化をそのまま復活させることが現実的ではない一方で、世界経済を分断された経済圏に分けることにも大きなコストがあると考えています。
そこで提案しているのが、”globalisation-lite”という考え方です。これは、従来のように経済効率を最優先して国際的な結びつきを拡大するのではなく、国家安全保障や供給網の強靱性にも配慮しながら、国際協力による利益を維持しようとするものです。
また、IMFや世界銀行などの国際機関についても、現在の世界経済における新興国の重要性や、気候変動・感染症といった地球規模の課題に対応できるよう、役割や運営の見直しが必要だと主張しています。特に、開発途上国への資金供給、国際的な公共財への投資、債務問題への対応などを重視しています。
著者らの基本的な立場は、国家間の競争や対立が存在する現実を認めながらも、相互依存する世界では国際協調を放棄できないというものです。そして、経済成長モデルの改革、国内の経済運営の改革、国際秩序の改革は、それぞれ独立した課題ではなく、相互に補完し合うものだと考えています。
4.感想
本書を読んで印象に残ったのは、世界の様々な問題を、経済成長、経済政策、国際秩序という3つの観点から一体的に捉えている点です。特に、過去30年間のグローバル化や低インフレ環境を当然の前提とせず、世界経済の構造が変化しているという問題意識は、現在の金融市場を理解する上でも重要だと思います。
また、金融政策への過度な依存という指摘についても、考えさせられるところがありました。中央銀行は物価や景気の安定に大きな役割を果たしますが、供給能力の不足や生産性の低迷など、金融政策だけでは対応しにくい問題もあります。
一方で、本書が提案する政府の積極的な関与や国際協調が、実際にどこまで実現可能なのかについては、慎重に考える必要があるように思います。特に、国家間の利害対立が強まる中で、各国が長期的な共通利益を優先できるかどうかは、大きな課題ではないでしょうか。
本書の特徴は、今後の世界経済を考えるための問題意識と政策的な方向性を指し示すアジェンダの設定にあるように感じました。その意味で、個々の提案の実現可能性については議論の余地があるとしても、金融・経済だけでなく、政治や国際秩序まで含めて現在の世界を構造的に理解する上で、非常に示唆に富む内容でした。